会社概要

1955年以来、過酷な使用に耐えるものづくり

Finn-Savotta社は、過酷な環境下での要求の高いプロフェッショナル向け、及びレクリエーション向けに、 高品質な機能的ギアを設計・製造しています。 個人向けの積載運搬装置やサステインメントシステムを中心に、小型のアクセサリーからバックパック、各種スリーピングギア、特殊用途のテントまで、私たちの製品は広範囲に及びます。 当社は民間向けの小売、B2B及び専門家向けの市場で事業を展開しています。国内外のアウトドア愛好家、 人道支援団体、軍事・法執行機関などが顧客に含まれています。 研究、開発、設計、過酷な使用に耐えるハイテクな縫製、レーザー切断、金属加工、自動化、熱成形、素材 の専門知識に加え、エンドユーザーの要求に対する理解を深め続けていきたいという強い思いとともに、製品づくりを行っております。

・1955年に設立された家族経営の企業
・本社と工場はフィンランド・カルストゥラ ・エストニア・タルトゥに工場
・従業員数約100名 ・フィンランド国防軍と50年以上にわたり提携
・認証: ISO9001:2015 AQAP 2110 Ed D 施設の機密情報取扱許可(?)
・NATO CAGE: A444G

History of SAVOTTA

サヴォッタ(サボッタ)の歴史

1925年~

アラン・ハルメは1925年、タンペレの靴職人の家に生まれました。大恐慌の時代に幼少期を過ごしたアランは、12歳の時には既に、靴磨きでお小遣いを稼いでいました。第二次世界大戦中、少年たちは、当時前線にいた男たちの仕事をする必要があったので、アランは15歳で特別な許可を得てトラックの運転をはじめました。戦争が終わると、アランは中央フィンランドのピルコンマキにやってきました。彼はそこでマルヤッタ・サイニオと出会い、二人は恋に落ちて結婚しました。マルヤッタの父はピルコンマキに店を持っていたので、アランが家業を継ぎました。

1950年代

アラン・ハルメは1955年8月19日に、妻のマルヤッタ・ハルメとともに「Pylkönmäen Nahkatyö(ピル コンマエン・ナフカトゥ)」という会社を設立しました。アランとマルヤッタは、木こり向けのバッグ、手袋、バックパックを作り始めました。製造が拡大し続けたため、アランは村の男たちの手を借り、ピルコンマキのハッラアホに小さな工場を建てることにしました。従業員が増え、旅行用鞄やバイカー用のバッグなど、製品の品揃えもどんどん増えていきました。バックパックは売れ行きが好調で、製造量も増え続けました。
1960年代

「ピルコンマエン・ナフカトゥ」は名前を変え、「Savotta-Retkeilyväline(サヴォッタ(サボッタ)・レクテールバリン)」になりました。1966年、アランはカルストゥラにうってつけの場所を見つけ、オンネラの工業地帯が誕生しました。当時、キャンプ用のテントはサヴォッタ(サボッタ)の新製品でした。アランは製品開発を担当し、マルヤッタとエスコ・マキネンが製品の試作品の製作を担いました。60年代の売れ筋製品は、スチールフレームのリュックサック。当時、地元の鍛冶屋のマッティ・ペッカネンが、カンガサホの工房でスチールフレームを作っていました。サヴォッタ(サボッタ)とペッカネンの協力関係は80年代後半まで続きました。60年代には、最初のナイロン生地がリュックサックに採用されました。

当時の顧客は、個人の小売店や卸売業、フィンランド国防軍などでした。サヴォッタ(サボッタ)はフィンランド国防軍用にパン袋を製造、また10人用のテントの開発をはじめました。1966年、製造の一部がカルストゥラの工場に移管されました。マルヤッタ・ハルメはカルストゥラ工場の責任者となり、アランは当時まだ会社の本拠地であったピルコンマキの工場に注力していました。サヴォッタ(サボッタ)はその歴史の中で250人以上の人たちに、長く続けられる仕事を提供してきました。現在でもサヴォッタ(サボッタ)には、20年、30年、さらには40年と働いてきた従業員がいます。

1970年代

70年代はサヴォッタ(サボッタ)にとって国際化と成長の時代でした。70年代初頭、ピルコンマキの人手不足と物流の不備が原因で、製造の大半はカルストゥラに移管されました。会社形態が株式会社になり、それに伴い社名もFinn-Savotta Ltd.に変更となりました。1971年7月1日、二代目のリータとアニタが同社で働き始めました。70年代初頭はスウェーデンへの商品輸出が急激に増加し、最大の顧客の一つはJOFA ABC社でした。

1974年、カルストゥラの工場は現在の生産能力まで拡張され、ハルメ一家はカルストゥラに引っ越しました。ピルコンマキの従業員は引き続きサヴォッタ(サボッタ)で働き続け、通勤はサヴォッタ(サボッタ)が所有するミニバスで行われました。リータはビジネススクールを卒業、アニタは衣料品産業の技術者となり、1977年12月23日に亡くなった母マルヤッタの代わりを務めました。アニタは母の跡を継ぎ、製造部門の責任者となりました。会社はマリメッコ社との提携が始まります。サボッタは、マリメッコ社がスルカヴァに自社工場を建てるまで、マリメッコ用に様々な種類のバッグやケースを製作・設計していました。70年代、サヴォッタ(サボッタ)は国際見本市にも参加しはじめました。

1980年代
80年代初頭、カルストゥラの工場は拡張され、リュックサック用の金属フレームとテントポールを現地生産できるようになりました。1982年、サヴォッタ(サボッタ)のリュックサック906が「Tekniikan Maailma(テクノロ ジーの世界)」という雑誌のテストで優勝しました。同年、フィンランド国防軍の戦闘用ベストの開発も開 始。防弾チョッキ、軍用テント、特殊な軍用運搬システムなど、その他の製品の開発も行われました。80年 代から90年代にかけて、3万着以上のコンバットベストが製造されました。

1990年代

1992年初頭、リッタ・ハルメが新CEOに就任しました。ヴィータサーリには、15名の従業員からなる新工 場がオープンしました。この頃、サヴォッタ(サボッタ)は大手小売店向けに特注モデルの製造をはじめました。リュックサックの商品ラインナップは、内側に金属製のバックサポートが付いた解剖学的モデルにも広がりました。
90年代には、子ども向けのかばんが人気製品の一つとなり、さらにハイカーや専門家向けのマップケースも 作られるようになりました。1995年、Finn-Savotta Oyは、フィンランド国防軍によるISO-9001-2000規 格の審査を通過した最初の繊維企業の一つでした。

90年代にはサヴォッタ(サボッタ)の製品ラインナップに、当時人気のアイテムだった寝袋も加わりました。フィンラン ドの冬は寒いため、サヴォッタ(サボッタ)は寒冷地でも使用できる製品を作る必要がありました。テントメーカーとし て、サヴォッタ(サボッタ)は寒い冬にテントを暖めてくれるものが必要だったため、カルストゥラの工場でサヴォッタ(サボッタ) ストーブの製造を開始しました。また、冬をテーマにスキーヤー向けのそりも作られるようになりました。


アラン・ハルメ(1925-1994)

1980年代末、アランは深刻な病気を患い、回復には時間がかかったものの一命を取り留め、ヴィルップラ の牧場で手仕事をしていました。90年代初頭に病気が再発し、1994年5月、アランは亡くなりました。

2000年代

ビジネスの世界は、この50年で大きく変わりました。EUは私たちの内需を拡大し、グローバル化によって 会社は新たな課題に直面しています。サヴォッタ(サボッタ)はブランドをリニューアルしました。当社のロゴは時代 を経て変化しましたが、クラシックな製品には昔のサヴォッタ(サボッタ)マンのロゴが堂々と入っています。 

フィンランド赤十字社は、カルストゥラのノウハウを評価しました。サヴォッタ(サボッタ)はフィンランド赤十字社を 通し、多数の災害現場に数多くのテントを供給・製造してきました。この提携関係によって、サヴォッタ(サボッタ)の 病院用テントの製造開発が始まりました。二重構造のテントと金属製のフレームは、全てカルストゥラで製 造されています。病院用ベッドも、病院用テントのパッケージの一部です。Finn-Savotta社製のテントは、 世界中の困っている人々を支援しています。 

サヴォッタ(サボッタ)が近い将来直面するであろう未来の課題は、社内の世代交代です。エルモ家・ユリウス家の息子 たちがすでに会社で働き始めています。

DEFENCE & B2B

防衛・法人向け

1960年代以来50年以上、サヴォッタ(サボッタ)はフィンランド国防軍との提携により、テントや個人向け重荷重用 装備の設計・開発を行ってきました。

主な提携先:フィンランド国防軍、フィンランド国境警備隊、フィンランド警察、フィンランド救急サー ビス、フィンランド赤十字社、エストニア国防軍

正規輸入代理店
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